■たわごとですかーっ!!■



▼【それでも近代化は進んでいる】 05/07/22

いまや当たり前の家風呂であるが、幼少の頃、家には風呂がなかった。
風呂がなかったからと言って、別に近所の川で洗っていたわけではない。なぜなら、冬が困るからだ。
やだなあ、雪で身体を洗うのは。
したがって、毎日の垢を落とすのは週一の銭湯であった。
週一だから、毎日の垢は落とせないけどね。

初めて家に風呂が付いたのは小学校6年の頃である。風呂は親父の手作りである。そもそも我が家自体が親父の手作りであり、オレが生まれる少し前に、友人一人の手を借りて建てたのだと言う。材料は方々から拾ってきたらしく、そのせいか、居間の真ん中に鎮座した柱は何かしらいびつな形をしていたし、最初から柱の傷が付きまくっていたので、身長の伸びを示す印は、どれがどれだか分からない始末だったよ。

風呂場は台所の裏側に増築された。燃料は石炭である。風呂桶は、どこから拾ってきたのか分からないが、コンクリート製だった。よくもまあ、こんな重い物を運んできたものである。我が家の七不思議のひとつであった。
因みに、他の六不思議は知らないのです。

そのコンクリート製の風呂桶は、少しして桧製に変わった。一気にグレードアップである。しかし、それも長くは続かなかった。水漏れが発生したからである。
いつもいつも「気が付いたらお湯がありませんでした」では、風呂の価値は半減である。しかし誰にも文句は言えない。拾い物だからだ。
かくして3代目風呂桶は何の趣もない、塩ビ製のものとなり、更に燃料は石炭から灯油に変わった。我が家の近代化の第一歩を実感したものである。
あくまでも第一歩である。
水道は井戸でしたから。
因みに、その井戸も親父の手作りである。
手作りもほどほどにしなければならない。
なぜなら、近所に温泉が出たときから、すっかりうちの井戸は干上がってしまったからだ。
水が出ないことほど不便で切ないことはないだろう。すぐにおふくろは役所にクレームを出した。
まもなく、うちに水道が引かれたのは言うまでもない。

こうして我が家の近代化は一歩一歩着実に進んでいったのである。
いまだに、風呂にシャワーがなくて、しかも蛇口からお湯も出ないけどさ。
それでも、近代化である。
そう言わせて欲しい。

byクムラ〜



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