■たわごとですかーっ!!■



▼02/05/05【電波に乗ってやってくる】

電波花盛りである。
携帯電話が当たり前のようにはびこる世の中、電波はなおいっそうその猛威を振るう。
電波、電磁波の悪影響もしばしば取りだたされるそんな昨今なのだが、いったいそもそもなんなんだ、この電波というやつは。

なにしろ電波に乗ってやってくるのだ。映像や音が。
それを見ても聞いても、ああそうなんだとしか言いようがなく、しばしばなにか騙されているのではないかと言う錯覚にもおちいる。
しかし現にテレビは写っているし、ラジオも携帯電話も鳴っている。
だがしかし、それがほんとに電波の仕業なのだろうか。
そういったとき、人はやはりこういうのではないか。

「この目で見ないと信じられないよ」

もっともな話である。結局はこういうことなのだろう。
だったら、見えるようにしたらいいじゃないか。

なにしろ電波が目に見えるのだから驚く。
驚くのももっともで、それは人間にとって悪影響を及ぼすかも知れないものであるからで、そんなものがそこら中を縦横無尽されたらたまったものじゃない。外など歩けないったらないだろう。

それでは困る。とくに電波業界の人々は…。
そのせいで携帯電話はおろか、テレビやラジオが使われなくなってしまうのである。商売上がったれと言えよう。
そこで考えることは、電波のイメージアップに他ならない。
音や映像は「電波」に乗ってやってくる。
しかも、いま電波は目に見えているのだ。
だったらその乗っている電波そのものに工夫をこらすのが定石だろう。
なにしろイメージアップである。

音や映像が乗っている電波と言うもの。
このときそれは、魔法のじゅうたんかも知れないし、もしかしたらコウノトリかも知れない。風船でもいいだろう。
夢のある電波。それがキャッチフレーズである。

しかしここで思いも掛けない困った問題が起きる。
乗りたがる。
とにかく乗りたがるのだ、みんな。
そりゃあそうだろう、魔法のじゅうたんやコウノトリ、または風船が目の前をさも乗ってくれと言わんばかりに漂っているのだ。
特に子供が乗りたがることは想像にかたくないだろう。

子供といったらダダだ。
ダダをこねる子供達がそこらじゅうをはびこる。
そもそもダダとはなんだ。
ウルトラマンの怪獣です、などと言われてもいまさら納得できないだろう。
古すぎるからな。
いまそんなことを言っているのではない。
なにしろダダをこね、ゴロゴロする子供、そしてまた一方では「電波」に乗ろうとする子供の足を引っ張る親達。

もの凄い光景である。
その光景は圧巻ではあるが、なにしろ邪魔だ。歩きにくいったらないし、車は大渋滞だ。
これが新しい社会問題となって我々の前に立ちふさがる。
そう考えたとき、つい乗りたくなってしまう電波はちょっと考え物である。

だったら魔法のじゅうたんはやめよう。
「ござ」だ。
こんなものに誰が乗りたがると言うんだ。
しかし、「これでもいい、ござは日本の文化だ」と言って乗りたがるご老人はいるのだ。
ござに乗って漂う老人達。そしてそこから落ちる老人達。
これはちょっとまずい。

またコウノトリではなく、竜ってのはどうか。ドラゴンだ。
もしくはちょっと古いが、ガメラなんてのもいいかも知れない。
これじゃあ恐くて近寄れまい。
しかし、やはりいるのだ、かっこういいとか言って乗りたがる輩が。
考えてみれば、ガメラは子供のヒーローであった。
ガメラに乗って大はしゃぎの子供達。無闇にはしゃぐため、やはり落ちる。
したがって、ガメラもダメだ。

この場合、カメ虫を飛ばすのが正解であろう。
カメ虫と言って真っ先に思い浮かぶのは臭いということだ。
やだやだ、臭いのは。
これだと誰も近寄ろうとは思わないだろう。

それでも油断は禁物である。念には念を押そうではないか。

「カツラ」を飛ばす。

いくらなんでもカツラを飛ばすことはないじゃないか。
そこら中をカツラが浮遊する。
凄いな、それ。
一見するとそれは「真っ黒くろすけ」である。
そんなカツラに乗りたいなんて奴がどこにいるというのか。
いっぺんそんな奴の顔を拝みたいものだ。
カツラに乗りたいなんて思う奴は絶対にいないだろう。

それでもやはり問題は発生する。

「取っちゃう」

欲しがる人がいるのだ、カツラを。
確かに買えばけっこうするからな。

なんなんだ、いったい。
根本的な主旨が分からなくなってるじゃないか。

肝に銘じて欲しいこと、それは、
安易に電波というもののルールを変えてはならないということだ。

byクムラ〜


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