■たわごとですかーっ!!■



▼02/04/22【めんどうだがやっぱり必要だ】

誰しもが長い間、変わらずお世話になっている場所がある。
それは、幼少の頃からの付き合いであり、それがないとちょっと困ったことになってしまうことだろう。
最初に断っておくが、それは「かわや」ではない。
当たり前じゃないか。
そもそも、かわやとはなんだ。いまどきそんな言い方するやつがあるか。
いったい何人の民衆が、かわやなんてもの知っていると言うんだ。
つくづく日本語は大切にしなくてはいけない、そう思う。

いま、かわやの話題を提供している分けではなく、ここで言うその施設とは、床屋のことである。
床屋、人はときとしてそれを散髪屋と言う。
簡単に床屋と言うが、その付き合いは長く、もし床屋がなかったらいったいどうなっていたことだろう。
床屋のない世の中を想像してみて欲しい。
人はみな口々に言うだろう。

「誰か髪の毛を切ってくれないか」

その言葉は方々でささやかれ、それがごく日常の会話となっているのだろう。
中には、オレが切ってやると言う奇特な輩もいて、その口車に乗り、切ってもらったはいいが、その頭は、ちょっとどうにかしてやってくれ、とでも言ってあげたいくらいの無惨な頭だったりする。
そう言った観点からやはり床屋という存在は、現代においてもかなり重要な位置を占めていると言えよう。

オレは先だって、その床屋へ行った。
3ヶ月振りのことである。
3ヶ月もたつと、かなり頭は鬱陶しいことになっており、ヘアースタイルなんかも、さしずめ、もうどうにでもなれ、とでも言いたくなるような状態となっている。
それでもやはり、どうにでもなれと言う分けにもいかないので、意を決して床屋に行ったのである。

床屋、そこには数々の人間模様をつぶさに垣間みることが出来る。
店員に至っても様々で、その店のスタイルが一貫しているのかと思いきや、かなりそうでもない場面に遭遇したりなんかもする。

顔を剃る。
剃る前にまずは蒸しタオルを口に当てる。
そしてそのとき、店員から思いも掛けない言葉がオレに発せられた。

「まゆ毛の下はよろしかったでしょうか。」

聞いてくるのだ。タオルで口がふさがれているのにだ。
そんな状況下においてたずねられたら、うなづくしかないじゃないか。

うなづくしかないのだが、もしこれがまゆ毛の下でなく、あそこの下だったらどうすると言うのだ。
店員はたずねる。
「あそこの下はよろしかったでしょうか」
あそこの下が具体的にどこなのか、頭はすっかり錯乱してしまっている。
やっぱり、うなづくしかないのである。

そもそも「よろしかったでしょうか」という問いかけ自体、あやふやなものはないのではないか。
うなづいたところで、剃ってくれるのか、剃ってくれないのか皆目分からないではないか。

次ぎに頭を洗ってもらう。つまるところ洗髪である。
美容院はこのとき、仰向けで洗うらしいが、床屋はうつぶせである。
考えて見れば当たり前じゃないか。それが人間本来の姿だろう。
風呂で仰向けになって頭を洗っている人をいまだかつて見たことがないではないか。

そんなオレの気持ちもよそに店員は手際よく頭を洗ってくれる。
そして、頃合を見計らったかのようにこう言うのだ。

「どこかかゆいところはありませんか」

困った、ほんとうに困った。
確かにいまオレはかゆい。
かゆいのは確かだが、オレがいまかゆいのは、お尻だ。
「どこかかゆいところはありませんか」
こう問いかけられたとき、「お尻がかゆいのです」と要求して良いものなのか。

こういう状況下においてそのような問いかけはやはり気が錯乱するものであり、冷静に考えて見たとき、それを解決する方法としてお勧めはこれしかないだろう。

お尻は自分で掻く。

一通り無事散髪も済んだところで、最後に鏡をオレの後頭部の後ろに掲げる。
そして店員はオレに問いかける。

「長さはこのくらいでよろしかったでしょうか」

困った、問答無用に困った。
できることならこう言わせてもらえないだろうか。

「もう少し長めにお願いします。」

床屋で必要以上に寝るのは良くないらしい。

byクムラ〜


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