あぁ怒濤の北海道旅行記

2005年
6月12日(日)
▼今日から旅に出る。
北へ向かう旅だ。それは果てしなく遠い道のり。
愛車スカイラインに、「厳しい旅になると思うが頼むぞ」と一言声を掛け、出発する。
無言のまま、ハイウエイを駆け抜けるスカG。エンジンは快調だ。
あまりにも順調すぎて何かイヤな予感がするくらいである。
その予感は的中した。
捕まったよ、捕まった、覆面パトカーに。
予感通りの事態である。
いきなりなことに少々落ち込んだが、きっと、この先の天からの戒めなのではないか。そう自分に言い聞かせ、再びスカGをハイウエイにのせたのです。


6月13日(月)
▼北上を続ける。
少しずつ気温が下がっていくし、心なしか人の言葉も訛り始めたようでもある。



▼夜、青森に到着。
さすがにここまで来ると寒い。
取りあえず、腹ごしらえをしようとファミレスを捜すがなかなかない。これも青森の特徴なのか。
適当なビジネスホテルを捜し、駐車場へ車を入れる。駐車場のおじさんが目を丸くしオレを見て言う。
「寒くないんですか?」
Tシャツ1枚がよほど変わっているかのような口振りだ。
確かに、道行く人は上着を羽織っており、中にはフードを被っているものまでおり、こうなるとオレはやはり変な人である。
まだまだこの地方のGo To Summarは先のようだ。
▼ホテルのチェックインを済ませ、外に出ると、さっきまでやっていたはずのマクドナルドが閉まっているではないか。こんなことってあるのかよ。
マクドナルドの青森仕様である。なにしろ大ピンチである。
ふと見ると、近くにガストがあった。これほどガストに有り難みを感じたこともないだろう。中へ入るとやけにこじんまりした店内であり、まるで喫茶店の様な雰囲気を漂わせている。メニューがいつも見るものと同じであることで、ここがガストであると言うことを認識させる。
店員は訛っているのかと期待したが、まったく普通に話したので少々がっかりした。
偏見もほどほどにしないとな。
▼明日は青森を少し見てまわり、いよいよ北海道へ上陸する予定である。
フェリー、予約してないけど。


6月14日(火)
▼フェリーを予約する。
港は青森港ではなく、下北半島の大間港である。
大間と言えば、まぐろが有名だが、今回の目的はまぐろではない。昔、行って感動した、仏ヶ浦をどうしても見たかったからだ。
▼ホテルのチェックアウトを済ませ、さっそく下北半島へ向かう。
それにしても遠い。海岸沿いを走ったかと思えば、延々とワインディングロードが続く。これだけ人気のない山道も珍しいくらいだ。まるで、何かが出てきそうな、そんな予感さえする。
サルである。
いきなり、目の前を横断する、ニホンザルの面々。
これが、あの日本最北端のサルたちか。
こんなことろで会えるとは、なんとも感無量であった。

下北のサル

▼ようやく、仏ヶ浦に到着。
駐車場には、他に車が一台停まっているだけである。この寂しさはまさに秘境と呼ぶにふさわしいのではないか。
木製の階段を降りる。こんなに遠かったかと言う思い。10数年前の記憶が薄い。
海岸を降りきれば、昔の記憶がまざまざと蘇る。海岸をそびえ立つ巨大な岩々。それは日本離れした風景であり、一見、セットではないかという錯覚さえ感じさせる。その壮大さは遠近感さえもおかしくさせるのである。

仏ヶ浦

▼感動に浸っている時間はそれほどない。フェリーの時間が迫っているのだ。
ここから30キロを30分で行かなくてはいけない。
しかし、ワインディングロードを30分は非常に厳しいノルマである。
予想通り、それは厳しい時間制限であった。半ば諦め掛けたが、なんとかギリギリ間に合う。
フェリー上の愛車

▼無事、函館に上陸。
愛車スカイラインも北海道2度目の上陸に感慨深げのようだ。
▼函館山に登った。
夜10時以降は車で登れるようだったので、スカイラインで行く。
上へ行くに連れ、キリが濃くなった。登り切れば、そこはまるで霧の摩周湖である。
何も見えないのだ。
しょうがないので、降りる途中の霧の晴れたあたりに車を停め、夜景観賞をした。
実に寒い夜景は、やはり世界一なのではないか。

霧の中の愛車

6月15日(水) 
▼函館である。
まずは腹ごしらえだ。朝市へ行き、食べたのは、土方丼である。
けっして、どかたどん、ではない。土方とは、新選組のひじかたである。
ここ函館は、土方最期の地として知られ、これにあやかった土産物や記念品が多く存在しているのだ。
土方丼を食べ、五稜郭への参拝は準備万端である。

土方丼

▼五稜郭タワーに登る。隣には建設中の新五稜郭タワーがあり、その高さからして数段グレードアップしている。
タワーに登ると、出迎えてくれたのは、やはり土方歳三であった。
写真にあるポーズそのままに実物大の銅像が鎮座しているのだ。
ちょっと老けているのが玉にきずだが、それも愛嬌と言うものだろう。

土方歳三銅像

一本木関門 土方歳三の墓

▼函館を出て、途中、大沼公園駅に寄る。
あくまでも駅でよい。目的は公園ではなく、団子である。
大沼団子。
なんの変哲もない団子だが、これが実にうまい。
10数年前食べた味が忘れられず、再びここに立ち寄ったのだ。
醤油とあんことゴマ。やはりどれも旨い。

大沼団子

▼下道で延々と小樽へ向かう。到着は夜。
腹が豪快に減ったので、カニをたらふく食べる。
さすがに今日は疲れた。


6月16日(木)
▼昨日は結局、小樽で宿が見つからず、札幌で宿を取った。
▼10時にホテルを出る。
ホテル前の道路は、御輿担ぎで賑わっていた。北海道神宮の祭りらしい。

▼コンビニに立ち寄り、駐車場で昨日小樽で買ったかまぼこを食べる。これが朝飯である。
なにしろ当てのない旅である。ナビゲーションもない。百均で買った、でかい地図だけが頼りである。
▼取りあえず支笏湖に行くことにした。
いったい何年振りだろうか。記憶が定かではない。
途中、目に入った看板で立ち寄った場所は、オコタンペ湖である。
こんな湖の存在はまったく知らなかった。そもそもオコタンペっていったい何なんだ。アイヌ語であることに間違いはないが、その意味がわからない。近くのおばさんが、しきりに、カトチャンペ、と言っていたが、いつまでもオコタンペの看板にまたがっていたのが邪魔で腹立たしかった。
したがって、オコタンペの印象は悪い。

支笏湖

▼千歳を経由して故郷の美唄へ向かう。
途中、インディアン水車の看板を見つけ、そこでカマンベールソフトを食べてみたりなどした。水車とはまったく関係がない。

▼夜、実家到着。
父母の出迎えを受け、さっそく地元の温泉に入りに行く。
昨年オープンしたばかりの温泉であり、その名も、ピパの湯「ゆ〜りん館」である。
「ゆ」のあとの、「〜」が、どういう意味なのか非常に気になるところだが、ま、せいぜい、クムラ〜の「〜」くらいのものだろう。



▼なにしろ美唄には似つかわしくない立派な建物である。しかも、駐車場には予想以上に車が停まっているではないか。
ひどい言われ方だな、おい。
平日だと言うのに、けっこう入っていた。やはり、どこへ行っても日本人は風呂好きなのである。


6月17日(金)
▼朝、親父の友達のひとりである、カラスのカーコが遊びに来ていた。
さっそくオレも挨拶したが、まったく相手にされなかった。

カラスのカーコ

▼旭川の旭山動物園へ行ったのである。
旭山動物園と言えば、いま、全国的に話題になっている動物園であり、日本でもっとも活気があるとされている動物園である。
数十年前に行った覚えが、微かながらあるが、その記憶によれば、まったく冴えない動物園だったと言う記憶しかなく、まさか、こんなにも有名になろうとは、夢にも思わなかったのである。

旭山動物園

▼平日だと言うのに、かなりの人出であり、やはりその人気の高さが伺える。
他の動物園と何が違うのか、漠然と見ていると何も分からないが、よく観察すると、生き物をただ見せれば良いと言う、惰性的な手抜きがないことに気付く。
動物の説明書きはすべて手書きであるし、檻の中は、できるだけ自然の中で動物が生活しているようにデコレーションされている。
▼象がいれば、たいていの場合、その隣にいるのはキリンであるが、この動物園にはキリンは見当たらず、これもまた独自の手法なのかと感心しながら、ふと隣を見れば、そこにあったのは、「喪中」の看板だった。
どうやら、最近、キリンのタミオさんが亡くなったらしい。
これが、この動物園の人気の秘密である。

タミオの喪中

▼帰り途中、両親が一面の菜の花を見せると言って、深川方面へ立ち寄ったが、すでに時期は過ぎており、ちょっと残念だったが、それでも、散りかけの一面の菜の花もまた、北海道ならではの絶景なのだった。
とにかく、北海道の風景は果てしないのである。

散りかけの菜の花


6月18日(土)   
▼故郷、美唄を堪能した一日。
山奥へ入って行く。
美唄ダム見学。かつてこれほどじっくり見たことはなかったのではないか。
そりゃそうだろう。ダムをじっくり見るようなマニアックな若者はなかなかいない。

美唄ダム

▼そして、炭坑跡である。
いまや炭坑の施設はほとんど残っておらず、縦坑や開閉所などが見られる程度だが、無料で見ることができる資料館があり、そこを見学した。
特に炭坑に思い入れがあるわけではないが、美唄そのものが炭坑で栄えた町であることは間違いなく、全盛期の美唄を見ることは非常に感慨深いものがあるのだった。

炭坑縦坑

▼美唄の町を廻る。
母校である中央小学校をまざまざと見たのは本当に久しぶりのことである。近くにある図書館も変わらずあり、学校帰りに良く寄ったのだが、借りた本はベーブルース物語、これしか記憶がないのはなぜだ。

美唄中央小学校

▼中学校は移築されており、元の場所は住宅地と化していた。
▼市立病院は、昔の煉瓦造りのままである。ここの床屋に良く行ったものである。

美唄市立病院

▼一昨年来たときには、まだあった旧美唄駅舎は、すでになくなっていた。
美唄のシンボル的歴史建物だっただけに、少々寂しい気分である。

美唄駅前

▼展望台、ふるさとの見える丘へ登り、そこから美唄を望んだ。ほとんど変わっていない風景は、嬉しくもあり、心配でもあり、なんとも複雑な思いなのだった。

美唄の展望台

▼いまや美唄の定番である、たつみで焼き鳥を買って帰る。
建物がかなり立派になっているのには驚いた。繁盛振りが伺える。

焼き鳥のたつみ

▼夜、妹とその子供たちが来て、庭でバーベキューをする。
なにしろ子供は5人だ。賑やかなことこの上ない。
土産は愛知万博グッズである。この地方ではかなりレアものだろう。
キッコロとモリゾウは知っているらしく、なぜか人気はモリゾウである。

▼明日、美唄を発つ予定である。


6月19日(日)    
▼朝、父母に送られ美唄を発った。
美唄ICで高速に乗る。北海道の高速道路は非常に空いており快適である。したがって、つい、必要以上にアクセルを踏んでしまう。
サービスエリアでの休憩時、ふとスカイラインのリアガラスを見ると、見覚えのないステッカーが貼ってあった。
「ゆっくり走ろう北海道」
親父のしわざである。

ゆっくり走ろう北海道

▼苫小牧で高速を降り、日高方面へ車を向けた。
行った先はサラブレッド銀座。牧場が建ち並ぶ道道である。
その5丁目にあるのが、ナリタブライアン記念館であり、ここに、ナリタブライアンのお墓もある。ここに立ち寄りお参りしました。
記念にブライアンのキャップを買い、ここを後にした。

ナリタブライアンの墓

▼その後、行った先は静内である。ウインズ静内。運悪く、日曜と言うこともあり、思わず馬券を買ってしまいました。
「ウインズ静内」と記された馬券が記念として手元に残っただけだったのは言うまでもない。

▼夕方になってしまったので、ひたすら函館に向け走った。
▼函館着は21時過ぎ。赤れんが倉庫群の一角にある、ラッキーピエロと言うハンバーガー店に入った。
ここは有名人が多数来店しているらしく、店内には多くの写真が飾ってあった。あのGLAYはここのハンバーガーが大のお気に入りらしく、このことから、ここのハンバーガーはよほど旨いことがわかる。
オレはカレーを食べた。

ラッキーピエロ

▼ここでも土方歳三を発見。
「土方歳三ホタテバーガー」
ハンバーガーになった自分を見て、土方はきっとこう言うのだろう。
「今日からオレは、ホタテバーガーなのか」
そもそもハンバーガーの意味を取り違えているのではないか。時代的に無理もない話である。

ラッキーピエロの土方歳三ホタテバーガー

▼函館山に登った。またかよ。
先日は、霧でまったく見えなかったので、諦めきれず、今回こそはと登ったのだ。
見事な夜景だったなあ。
ひとしきり満足して山を下りた。

函館山の夜景

▼明日は本州上陸である。


6月20日(月)

▼昨夜、函館市内を走っていて、偶然発見したのが、土方歳三記念館である。
発見してしまったら行かねばならないだろう。
入館料600円。1階が土方記念館。2階が石川啄木記念館になっている。
中へはいると、実に内容充実の展示内容ではないか。
愛刀、和泉守兼定、その他展示品をじっくり見て廻った。

土方歳三記念館

▼記念にと、ネクタイを買ってしまう。
なにしろ記念である。
土方歳三がデザインされたネクタイに他ならない。
いつするんだ、そんなネクタイ。
記念品とはそんなものである。

新選組グッズ

▼14時50分函館発フェリーびいな号に乗り、青森へ向かう。
フェリーの甲板から函館山を望み、土方も戦艦からこの風景を眺めたのだろう、と感慨深げにカメラのシャッターを切ったのだった。

フェリーからの函館山

▼夜更け前には青森に着いた。
あとはひたすら東へ向かって走るのみ。


6月21日(火) 
▼昨晩は仙台までたどり着いた。
ここまでくれば、もうほとんど帰還したも同然と思いがちだが、実は青森〜名古屋間の3分の1を来たに過ぎない。北海道が精神的にもそれほど遠いと言うことなのだろう。

▼せっかくの仙台なので、松島を見ることにした。
松島と言えば日本三景の一つである。因みに他の二つは見たことがない。
▼平日だと言うのに、凄い人である。さすが松島と言うしかないだろう。
ところどころに、「奥の細道」が掲げられている。松尾芭蕉である。
「松島や ああ松島や 松島や」
誰でも知っている有名な句であるが、改めて見ると、あまりにも奥が深すぎて、何が言いたいのかオレにはちんぷんかんぷんである。
昨日の石川啄木といい、松尾芭蕉といい、オレに歌の素質はまったくないよ。

松島

▼いよいよ今回の旅行も終焉を迎えようとしている。仕事先からの電話も多く入るようになってきた。
そろそろ現実にもどらなきゃな。

6月22日(水) 
▼昨日、仙台滞在が意外と長びいたこともあり名古屋帰還は果たせなかった。今日は神奈川から出発し、帰路へと向かった。
東名高速を走れば、気分はすっかり帰ったも同然である。
朝のうちかなり降っていた雨も、静岡に入った頃にはすっかり上がった。
途中、焼津魚センターに寄り、まぐろを食べ、再びゆっくりと名古屋へと向かう。

焼津魚センター

▼夕方、名古屋帰還。
長い旅は終わった。
総走行距離は、3、620キロであった。
にも関わらず、愛車スカイラインはトラブルもなく、実に元気よく走ってくれた。
明日は、旅の汚れをすっかり落として上げようと思う。

旅行の道程である


6月23日(木) 
▼撮ってきた写真を整理していると、その枚数、実に1080枚に及んでいたことが判明した。
オレはカメラ小僧か。

▼旅行中、入れたガソリンは385リッター。
600リッターは覚悟していたが、意外と少なかった。
燃費を計算すれば、リッターあたり、9キロ以上は走ったのではないか。
意外と長距離は燃費良かったんだな、スカイライン。
普段の走り方に問題があるとも言えるが。

▼北海道から帰ってきて、改めて感じること、それは、名古屋って、都会なんだなあ、と言うことである。
いくら奥地へ行っても、ちゃんと人がいることろは、さすがと言えよう。
サルだって出ないしさ。

▼一見、全国共通とも思えるコンビニであるが、ここにもしっかりと地方色がある。
例えば、おにぎりである。
赤飯のおにぎりはどこのコンビニでもあるが、こんなものは北海道にしかないだろう。
「甘納豆入り赤飯おにぎり」
北海道の場合、赤飯には甘納豆が当たり前である。オレは内地へ出てくるまで、それが至極当たり前だと思っていた。しかし、現実はそうではなかった。
懐かしさのあまり、思わず買ってしまったよ。
やっぱり赤飯は甘納豆じゃなきゃな。

甘納豆入り赤飯おにぎり




byクムラ〜





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