<切ない新聞配達>
私が、新聞少年だった頃の話である。
それは雪がしんしんと降る大晦日の夜のことであった。
その当時正月号の新聞は前日の夕方に配っていた。
つまり今日、大晦日である。
正月号の新聞はページ数はもとより広告の量が凄い。
優にいつもの倍以上はあるのである。
冬は自転車は無理なのでボブスレーに新聞を乗せて
それを引っ張って走っている。
当然今日くらいの量だと1回では乗せきれない。
だから乗せた新聞がなくなったら、また新聞を取りに家に
戻らなくてはならないのである。これは非常に手間である。
そこで弟に助けをたのんだ。
2台のボブスレーに新聞を乗せ、雪の中2人で新聞を運ぶ。
いつもなら配達の時間は朝早い。当然みなまだ就寝中であり
人とあうこともそれほどない。
しかし今日はまだ夕方、世間は年越しのご馳走を食べながら
大晦日のテレビの特番を見ている時間である。
正月号の新聞はなにせ分厚いのでポストには入らない。
だからいちいち玄関先まで入っていかなくてはならないのである。
「新聞で〜す」と玄関をあけ、新聞をおこうとすると
案の定来なくていいのにいちいち家の人が出てくる。
「ご苦労様」という暖かい声。なんだかいつもと違う雰囲気である。
兄弟2人でこんな大晦日に新聞を配っている姿が不憫に思えるのか、
みかんやら、お菓子やらをくれる人がけっこういるのである。
なんだかほんとうに自分たちが不憫に思えてくるから不思議である。
それでも遠慮なくもらって歩いた。
一年の終わりである大晦日という日、普通ならほんとに普通な姿を
訳有りな姿に変えてしまう、そんな特別な日なのであろうか。