当ページは、ダカーポ「宮本武蔵を丸かじり」にて紹介されました。
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◆武蔵を語る◆
   NHK大河ドラマ 武蔵MUSASHIを勝手気ままに語る

◆武蔵の本いろいろ◆


●武蔵伝説の真実:坂本優二著
●宮本武蔵攻略本:学研
●図解雑学 宮本武蔵:加来耕三監修、岸祐二著
●宮本武蔵十二番勝負:柘植久慶著
●吉川英治版 マンガ宮本武蔵
●宮本武蔵の人生訓:竜門冬二著 
●宮本武蔵50の真説:宮本武蔵研究会編 

●五輪書:宮本武蔵著
●随筆宮本武蔵:吉川英治著 
●宮本武蔵 全8巻:吉川英治著
●真説宮本武蔵:司馬遼太郎著
●日本剣鬼伝 宮本武蔵:峰隆一郎著
●宮本武蔵とは何者だっだのか?:久保三千雄著
●宮本武蔵、物語と史跡をたずねて:川村晃著
●二刀流の剣聖 宮本武蔵:木暮正夫著
●漫画:バガボンド:井上雄彦著

番外
●佐々木小次郎:高橋義夫著


◆武蔵メモ◆


    ▼武蔵が書いたとされる書物 
    ▼出生地の3つの説
    ▼決闘18番
    
    ▼武蔵について思うこと
    ▼宮本武蔵略歴
    


※これら武蔵に関する資料はあくまでも一般的な見解であり、事実を詳細に検証した分けではありません。ご了承ください。

●武蔵伝説の真実:坂本優二著:祥伝社:2001/11/10発行

武蔵についての代表的な15の謎を著者の調査により詳細に解きあかしている。著者は、現実の武蔵は小説とはほど遠いがしかし、その武蔵は更に魅力的であり興味深いとしている。この手の書が武蔵に関して批判的な書き方が多い中、個人的に好感が持てる。
コミック「バガボンド」と小説「宮本武蔵」の根本的違いについても言及している。それは武蔵が目指すところの違いにあるとしており、なるほど、と納得させられる見解である。
あの巌流島決戦の真相についても詳しくその見解を述べている。 小次郎に一撃を与えた後、最後のとどめを刺したのは武蔵自身ではなく、武蔵の弟子だった、と言う説が数年前発見された文献(沼田家記)により一部に知られているところだが、実は小次郎にとどめを刺したのは武蔵の弟子でもなく、この試合を取り持った細川藩の人間だったと言うこと。またこの時、小次郎の年齢はかなり年配だったのではないか、と言うような記述もまた興味深い。

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宮本武蔵攻略本:学研:2003/1/25発行

全96ページと言う薄い本ながら、内容は充実。
吉川英治の宮本武蔵をイラストを交えて分かりやすく紹介している。
登場人物の紹介もされており、これを読めば、小説宮本武蔵の概略がほぼ掴めてしまうのではないか。
登場人物に当てはめた性格診断のコーナーなどもあり、見るだけでも楽しい内容になっている。

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●図解雑学 宮本武蔵:加来耕三監修、岸祐二著:ナツメ社:2002/7/16発行

帯には「謎に包まれた剣豪・武蔵の実像を図解で再検証する」とある。
武蔵の検証書として、取り立てて新ネタや独創的な見解などはないが、図解と言うだけあって、なかなか分かりやすい。
好きなところから読めるし、巻末にある、用語の索引はなかなか便利だ。
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●宮本武蔵十二番勝負:柘植久慶著:PHP文庫:2002/9/17発行

武蔵の代表的な勝負をそのときの武蔵の周辺の状況を交えながら展開する、勝負別小説とも言うべき書である。
ウルトラマンの対決部分のみを見る。そんな感じか。
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●吉川英治版 マンガ宮本武蔵:原作:吉川英治|作画:神田たけ志|講談社+α文庫

吉川英治原作の宮本武蔵のマンガと言えば、いまやバガボンドをおいて他にないだろう。空前の大ヒットとなっている。
しかし、このバガボンド、吉川英治原作を元にしているとは言え、作者流にかなりの味付けがされている。
バガボンドを持ってして武蔵を知った人達に取っては、別段なんの問題もなく入っていけるだろうし、吉川の武蔵を知っているものに取っても、それはそれなりに違った作品として受けとめ、楽しむことができると思う。
では、その吉川英治武蔵を忠実に再現したマンガはないのかと言うと、これがあったのだ。
それがこの吉川英治版、マンガ宮本武蔵なのである。
まさしくこれは吉川英治の宮本武蔵である。
これを読んでから、小説を読む、そんな形で宮本武蔵に入っても良いのではないか。
武蔵入門としてもお勧めする次第である。
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●宮本武蔵の人生訓
:竜門冬二:PHP文庫:2000/2/15発行

武蔵の代表著書である、五輪書は日本のみならず、海外にも愛読者がいるほどで、その魅力は、兵法のこころへについて記してあるこの書物が現代においての生き方についても十分通用する内容だからである。
武蔵の書に記されている内容が、現代において、どのようなことを言っているのか、また武蔵ならばこういう場合どう考えるかを著者は詳しく解説、分析している。五輪の書をいまのこの現代においてどのように読み、活用していくかの指針書、ガイドブックとなるのではないだろうか。
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●宮本武蔵50の真説
:宮本武蔵研究会:2001/6/11発行

Q&A形式で武蔵に関する50の疑問について答えている。
いきなり「なぜ巌流島の決闘は行われたのか?」の問から始まっている。
いまでは、巌流島の決闘は武蔵が遅刻して挑んだ、と言うのが定説なのだが、この本では実際は武蔵は遅刻などしていない、と結論付けている。ほほぉ、と思った。残念に思ったのは、この巌流島の決闘の際、お互い弟子を連れてこない約束だったのにも関わらず、武蔵側には弟子が来ていて、しかも気絶した小次郎を寄ってたかって撃ち殺したということなのである。
他に、実際の年齢は12以上年寄りだったなど、驚きの真実が明かされている。
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●五輪書:宮本武蔵著:徳間書店

これを読まずして武蔵を語るなかれの本。ちゃんと解説もされているので分かりやすいです。人生の座右の書にするにはやっぱ、文庫本よりハードカバーでしょ。巻物版って出ないかなあ。
巻末に付録として、兵法三十五箇条と二天記が載っています。
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随筆宮本武蔵
吉川英治著

日、築100年近くにもなろうかという親戚の家に行ったおり、本棚を眺めていたら1冊の本が目に止まった。吉川英治著、随筆 宮本武蔵と背表紙に書いてある。見た所かなり古めかしい本であるのだが、案の定、中を開いて見ると発行、昭和14年となっている。13版となっているが、宮本武蔵の連載が終わったのがその年の昭和14年であるから、まさにその当時、その年に発行された本であることに間違いはない。
定価一圓八十銭。この値段表記を見るだけでもかなり年期が入っているのが分かるが、本自体は極めてしっかりしている。ふと、データだったらこんなにも長い年月持つものだろうかと思った。仮に残っていたとしても、そのデータを読み込む機械自体がはたしてその時あるのだろうか。書物の価値はそこにあるのだろう。さてこの本であるが、存在自体は自分も知ってはいたのだが、なかなか書店でお目に掛かることができなかった本である。ここでこういう形でお目に掛かるとは思いもしなかった。

その内容はというと、宮本武蔵の連載も終わり、一息ついた吉川英治が、その間、自分の身の廻りに起こった様々な反響に対しての思いを綴る、ひとつのメッセージ本のようなものである。
これだけ話題を振りまいた作品である。いつの時代も出る杭に対してそれを打とうとする輩はいるもので、小説宮本武蔵も例外ではなかった。
このころ、世間の吉川武蔵に対する批評は非常にうるさかったらしく、吉川英治はそれに対し、これはあくまでも「文学」としての宮本武蔵である、と言い切っている。そうした上で、ほんとうの武蔵を示した資料自体が非常に少ないことをあげ、したがっていまさらながら、これが正だとか誤だとか言うこと自体、すでに無意味であるという様なことを言っている。

味深く思ったのは、現在、宮本武蔵に対する謎、疑惑、諸説等、種種様々入り乱れている中、このころすでにこう言ったことについて論じられていたこと、逆に言うと、この頃から現在に至るまでの武蔵の謎に対する論議の内容はほとんど変わっていないということである。そしてまたその解明もまたいまだにほとんどなされていない、即ち想像の域をけっして出ていないと言うこと。これはいったいいつまで続くのだろう。いや、きっと100年、1000年経っても変わらない、逆に年を重ねれば重ねるほど、いっそう武蔵の謎は深まり、また魅力も更に増していくのではないだろうか









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●宮本武蔵 全8巻:吉川英治著:昭和10年8月23日朝日新聞連載開始 

一般的に巷が言うところの宮本武蔵とは、この吉川英治の宮本武蔵である。
かの極真会館故大山倍達総裁が、山籠りの際に座右の書として持参した本でもある。
私もこの小説の大ファンなのだが、しかしながらこの物語のほとんどが吉川英治の創作、つまり作り話であるということ。
この事実を知ったときはちょっとショックだった。
またそれ以上にショックだったのは、ここに出てくるヒロインお通が架空の人物であったことを知ったときである。
それでもそれらの事実などどうでもいいじゃないかと思わせるほどこの小説は面白い。
どうせ、どんなに調べたところで、100%の事実など現在となっては分かろうはずもないのだから、これを真実として自分自信の中に受け止めても別にいいんじゃなかろうか、とも思ったりしている。

内容は17歳の関ケ原の乱出兵から始まり、あの有名な佐々木小次郎との巌流島の決闘で終わっている。
その巌流島という名で有名なこの島も実はこの決闘以後これに因んで付けられた名称らしく、小説でも巌流島とは書かれていなく、舟島と言っている。
この巌流とは、佐々木小次郎の剣術の流派のことだったのである。
武蔵の流派ではなく小次郎の流派の名を付けたってところが面白い。
敗れて死んだ小次郎へのせめてもの弔いだろうか?

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●真説宮本武蔵:司馬遼太郎著:昭和37年発行

小説というより、司馬遼太郎の武蔵研究書の様なものである。
60ページほどの短編小説で、内容の軸となっているものは、昔、武蔵と同世代の渡辺幸庵という人物がいて、後に幸庵対話という本を残している人なのだが、その中で幸庵が実際に武蔵を見たときの話が載っておりその事実にもとづいて話は進められている。
巌流島の決闘で終わっている”吉川”武蔵に対して、それ以降の武蔵がどうであったかの考察もなされている。
なかなか説得力のある小説である。
その中で武蔵の剣は多分に素質がなせる技であり、その技術を後世に伝える力があったかというと疑問が残るというようなことを言っている。

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●日本剣鬼伝 宮本武蔵:峰隆一郎著:平成3年1月発表

いきなり武蔵が吉岡清十郎に殺されてしまったので、あれっと思ったが、武蔵という名の剣豪が2人いたという設定であった。
話としては、通常の武蔵小説とはひと味違っておもしろいが、多分に創作の色の濃い作品である。

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●宮本武蔵とは何者だっだのか?:久保三千雄著:1998年発行

緻密な考察、検証をこれでもかというほどしており読んでいてちょっと疲れるが、武蔵の真の実像にせまる本、所謂暴露本みたいなものである。
俗に言う武蔵ファン武蔵贔屓は読まない方が良いかも(^^;)
でも武蔵の風貌、対決の真偽など興味を惹くことはいろいろ書いてあります。

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●宮本武蔵、物語と史跡をたずねて:川村晃著:1984年発行

武蔵の謎であった部分を埋めることに成功したと川村氏が自画自賛する研究書である。
出生から、没までを物語として進めながら、それらの所以のある史跡の写真など交えつつ、紹介している本である。
資料などけっこう参考になるし、見ていても楽しい。

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●二刀流の剣聖 宮本武蔵:木暮正夫著:1983年発行

これはもうほとんど教科書のような分かりやすい内容。
武蔵入門書にいいかも。
一応、武蔵誕生から、没まで一通り網羅してあります。

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●漫画:バガボンド:井上雄彦著:1999年〜

原作は吉川英治の宮本武蔵である。
しかしながら、そのキャラクターイメージやストーリーの流れ、表現は、原作とは一線を画している。
武蔵はかなりスマートであるし、沢庵坊にいたっては坊主と言うには格好良すぎる。
お坊さんに失礼じゃないか(^^;)
お通にしても、原作は常に控えめで辛抱強い女と言うイメージだ。
それがここではかなり今風の女の子と言った感じなのである。
当初、このマンガの連載が始まった頃は、このようにあまりに原作と異なる故、自分自身戸惑いを隠せなかったのだが、読んでいるうち、こういう武蔵の世界、表現方法も有りなんじゃないかと思い始めた。

現在このマンガ、若者に絶大の支持を受け、空前の大ヒットとなっている。
これはまぎれもない事実であり、武蔵フリークとしてはこの先も成り行きを見守る次第である、、、えらそうに(^^ゞ

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●佐々木小次郎:高橋義夫著:1999年7月31日発行

◇当たり前なのだが、明らかに、小次郎主人公の小説である。
なぜわざわざそのようなことを言うのかというと、やはり、というか
当然、宮本武蔵の登場を期待していたからに他ならないからである。
いつ巌流島の決闘の場面になるかと思いながら読んでいたが、
宮本武蔵の名前は噂程度にしか表れず、結局、顔も合わせることなく
終わってしまった。なんか肩すかしを食った感じである。
ストーリー的には全体としての物語性が薄く、ちょっと退屈な内容だった。
だから読了にやたら日にちが掛かった(^^;)

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◆武蔵メモ◆

●武蔵が書いたとされる書物

◇五方之太刀道序(ごほうのたちのみちのじょ)

◇兵道鏡

◇兵法三十五箇条
武蔵が58歳のときに書いたもので、五輪書の基となった。

◇独行道
正式には武蔵の死後に、その弟子が武蔵の言行に基づいて書かれたもので、武蔵自信の自分の弱い面悪い面を改めようとした、べからず集のようなものである。

◇十智の書

◇五輪書
武蔵が晩年、熊本市の金峰山の雲厳寺の洞窟にこもって書いた書。
完成した一週間後に武蔵は死んだ。
しかし一説では、最後の空之巻を書く前に亡くなったため、その後弟子の寺尾孫之丞勝信が残りを書いたという説もある。

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出生地の3つの説

・作州(岡山県)英田郡大原町宮本
・播州(兵庫県)揖保郡太子町宮本
・播州(兵庫県)加古川市米田町

この3つの説の中で圧倒的に多い説が、作州(岡山県)宮本村が武蔵の出生地であるという説である。吉川英治の武蔵もそうである。しかし宮本家系図によると武蔵と武蔵の養子である伊織は同じ家からの養子とのことで、となると、伊織が播州(兵庫県)米田村が出生地であるということが分かっているため、よって自ずと武蔵もここが出生地ということになるようだ。

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●決闘18番

武蔵は生涯に60回以上の決闘をしたと言われるが、実際そのほとんどは記録に残されていない。
記録に残されている代表的な決闘を以下に記すと。

 1・有馬喜兵衛戦:13歳
 2・秋山某戦:16歳
 3・吉岡清十郎戦:21歳
 4・吉岡伝七郎戦:21歳
 5・吉岡一門戦:21歳
 6・奥蔵院道栄戦:21歳
 7・宍戸梅軒戦:21歳
 8・大瀬戸某と辻風某戦:22歳
 9・夢想権之助戦:25歳
10・佐々木小次郎戦:29歳
11・大阪冬の陣、夏の陣:31〜32歳
12・三宅軍兵衛戦:35歳
13・徳川義直家臣戦:47歳
14・高田又兵衛戦:51歳
15・松平出雲守直政戦:55歳
16・島原の乱:54〜55歳
17・氏井弥四郎戦:57歳
18・塩田浜之助戦:57歳

   これらすべてに勝利していることになっている。
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●武蔵について思うこと

・遅刻常習犯、武蔵

贔屓目に見ればどのようなことも真に思えてしまうものであるが、
武蔵に関してもまたしかりである。
まあそれはそれでしようがないが、ただ一つひっかるのは、その武蔵の戦術で
ある。なんせ武蔵は対決という場面においては、時間を守らないので
ある。必ず遅刻するのである。
しかも10分や20分ではない、平気で2時間は遅れて登場するので
ある。
その間、相手は焦れてしまい、いざ対決という段になると冷静な判断が
出来なくなっていて、結局敗れてしまうというのがだいたいのパターン
なのである。
真剣勝負における一つの戦術なのだ、といえばそれまでなのだが
現代においてルールのある対決に慣れてしまった人間にとっては
やはりどうも納得がいかない部分ではある。
まあ、そもそも人殺しなど日常茶飯事のこの時代に、セオリーなど
あろうはずもないんだろうけど。

・武蔵の容姿はいったいどんなだったんだろう?

宮本武蔵のイメージそれは、なんせクールでかっこが良い。
それは多分に吉川英治の武蔵の影響を受けている。
背は高く、がっしりしていて、精悍な顔だち。
しかし他のどの書物を読んでも実際はどうも違うらしい。
まず顔は異相、つまり替わった顔ということだろうか。
目は窪んでいて茶色で、頬骨は高く、髪は茶髪。
なにか日本人ばなれしていて、もしかしてハーフだったのでは?とも思ってしまう。
上背は、いまでいうと、176〜180センチほどというから
当時ではかなりの体格である。
髪は伸ばしっぱなしで束ねているだけ、風呂に入らなかったらしくぷんぷん匂っていたそうだ。
これではだれも近寄らなさそうだ。
唯一、武蔵の容姿をこの目で確認できるものに肖像画がある。
これは晩年の姿ではあるが、たしかにこれはちょっとなあ、
といった風貌であり、ほとんどただの胡散臭いおやじといった感じである。
これもまた、あまり詮索しないに越したことはなさそうである。

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●宮本武蔵略歴

1584年: 0歳:誕生
1596年:13歳:初の決闘、新当流兵法者有馬喜兵衛に勝つ
1600年:17歳:関ヶ原の合戦に出陣
1604年:21歳:吉岡一門(吉岡清十郎、伝七郎、又七郎)と決闘
1612年:29歳:巌流島(舟島)で佐々木小次郎との決闘
1624年:41歳:伊織を養子にする。
1637年:54歳:島原の役に出陣
1640年:57歳:細川忠利に客分として迎えられる。
1645年:62歳:五輪書完成
  同年5月19日永眠


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